サスライシェフ、イタリアを喰らう!!!

イタリアで料理人として働いた13年。。。新天地を故郷鹿児島に移し夢を現実とする為に奮闘する毎日を綴ったブログっ!!

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31 2011

イタリア料理界はどこへ向かっているのか。。。

イタリア料理界でも有名な口の悪いおっさんグランシェフ・ジャンフランコ・ヴィッサーニのインタビューから。。。





-素晴らしい今年2010年は「シンプルさへの回帰」というテーマをかかげている。今夜の食事はとても大事なものだ。なぜならイタリア料理会の重鎮ジャンフランコ・ヴィッサーニに料理を作ってもらっているからである。私たちは彼に「アルタ・クチーナ(最先端のレストランなどでサービスされるクリエイティブな料理)におけるシンプルさ、ジャンフランコ・ヴィッサーニの考えるシンプルさとはなにか」ということを聞きたいと思う。

「私たちが考える、また、もしかしたらジャーナリストたちが推奨したいメッセージとしてのシンプルさというものがありますが、問題は現在のコックたちが、マンマの作るフェットチーネを作ることができるのか?ということなのです。昔みんなが家庭で作っていた肉のラグーを作ることができるのか?子豚の丸焼きを回す機械なしで作れるのか?液体窒素や泡を使わずに料理を作ることができるのか?そういうことが実は現在のキッチンではとても難しい。
なぜなら今のコックたちはそういうものがすべてそろっているキッチンに入り、そこがスタートで、そこで仕事をしていて、それ以前はどうだったのか、そういうものはどこから(どういう必要性から)きたのかという、ことをすっかり忘れている。これは過去と現在をつなぐやりかたをどこかで間違ったといえる。何事にも基礎、ベースというものがある。今現在、イタリアで何人のコックがソースから油を取り除いたり、濃縮したりすること、または煮たり焼いたりするのにどの肉を使えばいいのか、魚をどうやっておろせばいいのか。。。これは実は難しいことなのだ。なぜそれがそんなに難しいのか、実は今となってはキッチンで、「味のない」ものを作っているからだ。


-それは技術的になにかがかけているからなのか?それとも、知るということが足りないからなのか?すなわち、自分たちの料理の伝統や文化に対する知識の欠乏なのか、もしくは技術的に料理をすることに対してハードルを乗り越える技量がないからなのか?


私は50年キッチンの中で働いている。私がキッチンで働き始めたとき、味というのは「脂っこく、重く、そのものの味がしっかりしていて大きな皿に山盛りたくさんのっている」ものだった。今はとても綺麗であったとしても、味がその素材、目に見えるものとまったく違っている。これは本当に残念なことだ。彼らは基本的な過去から現在への推移を間違ってしまった。子供が歩き始める前には、つかまり立ちをするものを使う。そしてそれで練習したあと一人で歩き始める。お母さんのおなかから出てきて、すぐに歩き始めるなんてことは不可能なわけだ。だからそういう場合には人間ではないなにか(物理的なもの)の助けが必要となる。

私たちの生活で過去から現在にかけての推移において「グローバリゼイション」と「消費主義」が基本的なものとなりつつある。レストランというのは今日、ダイナミックできらびやかである。でもそれはお客に高い金を払わせるため、お客を騙すためだ。(私もやったことだが)そして今、値段を下げる方法も見つけたが、それは単なるパフォーマンスであり、残念なことだ。残念なのは「”味”がない」こと、そして「コックであることの露骨でむき出しの現実がない」

イタリアの料理業界がどこへ向かっているのか、それはわたしにはわからない。その問題の一端はもしかしたらジャーナリズムにもあるだろう。ジャーナリズムはそれぞれ気に入った人物を祭り上げる傾向にある。それはしょうがないことだ。我々はみんな人間であり、それぞれ愛するものがあり、それを守ろうとする。だが、人生において我々は客観的でなければならない。そして自分たちがやっていることに対して誠実でなければならない。だが、今日、PR活動にばかり励んでいる人が多いのは確かだ。





たしかに僕も常日頃感じていた事である。
人間は常にあらゆる分野において進化を続けてきました。それは便利さであったり快適さであったり豊かさを求めたりと、常に欲求に応える形で進化し続けてきました。
でもその進化の裏で、その進化の原点ともいえる大切なものも失ってきているのも事実。
なぜそれが生まれたのか?なぜそれが根付いたのか?それは文化・風土・習慣などなど、複雑な環境が絡み合って出来上がったわけで、そこを忘れてしまっては本当に「進化」といえるのか??

プロの料理人という立場であれば日々進化し続けることも大切ではあるけれど、原点をまず知ることも大切なことであり、その原点をよく自分の中で消化・理解した後に進化すればいいわけで。それにより幅のある深みのある料理が生まれると思うわけです。
いきなり「進化」から始めても一見華やかであるけれど、それはやはり幅も深みも乏しいものだと思うのです。
それはキッチンの中だけではない、日常生活の中での文化や習慣、ひいては自然に密接に絡みつくもの。それを感じとる五感を如何に磨くか、感性などという軽やかな文化的なものではない、もっと土臭い感じ。素材そのものの味や香りだけではない、もっとそのものの原点の強烈な味、色や香りの連鎖をひきおこすような何かが、"クリエイティブさ”、テクノロジーなどの先行するALTA CUCINAでは感じられなくなっているとヴィッサーニはいいたいのではないか、と思ったわけです。


今回、シェフ・ヴィッサーニの「人間臭い」インタビュー、とても大切なことだと思いました。


それではもう一個。。。訳はないですけど、もっと人間臭いっす(笑)
イタリア人の知り合いは「言ってることは100%正しいが、イタリア語としては全然あっていない。。。」と絶句していましたが、口の悪い彼のいっていることは、その通り!なんです。






「今こそ原点に帰ろうっ!!」


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Posted by sasuraichef | 23:31 | Comment [2] | TrackBack [0] | イタリアから物申すっ!!

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いや、まさにそのとおり・・・のように感じます。
ジュリアーノがレストランに行ってがっかりするときの最大の理由はまさにこういうところのようですから。

ちなみに、パソコン嫌いでとおっていた大学時代の自分は、小学校児童全てにパソコンの普及をって銘うってた「コネット」になかば反論してコラムを書いたことがあります。(日経の夕刊に載った)。大事なのはパソコンの普及でなく、たとえば情操教育に大切な動物飼育の設備や自然に触れさせる機会をふやすカリキュラムや、またすぐれた芸術鑑賞の機会を(生でね)ふやすことじゃないかって。
自分が親になるような年齢になり、よりそんなことをよく考える今日この頃です。

Commented by mari [URL] | 02/01 17:42| edit

mariさん

今や各家庭に一台はあるコンピュータ。家でもPC、学校でもPCとなると、本当に自然に触れあう機会がなくなりますよね。
去年パリのルーブル博物館へ行ったとき、ミロのビーナスの彫刻の前で小学生20人ほどのグループが、一人一人意見や感想をのべているのが印象的でした。
実際自分の目で世界レベルの作品を見て、自分の中で感じたものをみんなの前で発表する。なんて幸せな時間を過ごしているんだと素直に感じました。
教育はもちろん、食育という分野でなにかできればと思っています。

Commented by sasuraichef [URL] | 02/02 06:02| edit

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